太極拳の系統をいうと、血筋のような伝承の流れを指すと思う。そして、私はどの分枝に居るか。良く考えてみれば、私の居場所は確定し難い。
私の太極拳は大体は上海の呉式の姿だ。しかし、詳しく見てみれば、上海の正統伝承と多少の差がある。
呉式と言えば、中国では大まかに北の派と南の派に分けられる。北の派は王茂斎から始まった伝承で、南の派は呉鑑泉が南下してから始まった伝承だ。でも、もう少し探してみれば、香港の呉公儀から流れてきた呉式もまた違う。私が把握している情報で考えてみれば、王茂斎の系統は経穴と経絡の意識応用を特徴としている。その代表人物は王培生だ。日本に「印誠武術館」がある、まだやっているかは分からないが、あれは王培生の伝承であることは違いないだろう。呉鑑泉の流れは上海の周りや欧米の辺に盛んでいるみたいだ。この系統は気で相手を操ることを上達の印としているみたいだ。日本にこの系統はまだ見えていない。呉公儀の系統は中国の南や東南アジアの方で多いみたいだが、詳しいことは分からない。ただし、身体が後ろに傾けることが多いのが特徴みたいな物だ。
私は呉鑑泉の系統の姿を持っている。もっと正確に言えば呉英華の太極拳姿だが、それに限ってはいない。北の方の高壮飛先生の話から啓廸を受けたり、楊式の本を読んで理解を深めたり、録画を見て理屈を考えたり、名人に合って自分の不足を調べたり、要点を絞り教室の皆さんに説明したりして、などなどのことで独自の見解が形成しつつある。今の私は私の特有なやり方でやっている。「特有」と言うのは今までどの本にも見えていないという意味だ。
私のやり方は良いか悪いかは言い難いが、私がそのやり方を好んでいる。力抜きで相手と接し相手を打ち戻す。力なき弱き者でも強力の相手に勝てるというのは私が求めている太極拳の信条だ。なので、姿勢を低くして足の力を貯めるや全身を回し力を絞り出すなどのやり方を好まない、まして、爆発的な力の使い方をもっと好まないんだ。
太極拳論に「耄耋御衆」(即ち、お年寄が者共を御す)と言う言葉から見れば、確実に力の強さではない。私はその言葉で自分を測りながらやってきた。
日本の武道は「守破離」の道を歩むみたいだが、中国武術はそう言う教えはない。特に太極拳は「道」から生み出された武術なので、その道に戻ることは太極拳練習の真髄たる内容だと思う。大道至簡だ。つまり、全ては一つにまとまらないと、まだ本当の道ではない。私は道に近づこうとしている。私は自分の太極拳をそっちに持って行こうとしている。だから、私の太極拳は系統に拘らないのだ。姿は呉式でも、中身をもっと重視する。今は、呉式の姿から私なりの道を見えてきたので、私も呉式の姿を持ちつづけるんだろう。
私の太極拳は本当のところどの系統でもない、良い物があれば吸収する方だ。同時に、糟粕と思われる物もどんどん捨てちゃうんだ。私の太極拳は皆さんに合うかどうかも皆さんの求める物によって分かれる。
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