閲覧数:115私はこういうことを聞かれたときがあります: 合気道の観点から見れば、先生はかなり無理な姿勢で大きい力を出したときがあります。なぜですか。例えば、腕を長く伸ばして横に払うなど。梃子がそんなに長いのにどうしてそんなに強い力を出せるんですか。 私はその場で答えました。その概要は以下の通りです。 人は力の大きさを知るには比較を行います。二つの力を比較して、相手側を抑えた力のほうが大きいと認識されます。自分が回る円柱の前に立っている場面を考えてみましょう。円柱は常に自分に近づいてくるほうと遠ざかっていくほうがあります。では、手を差し伸べて押してみることを考えてみます。近づいてくるほうを押せば、円柱の回転にぶつかり、力をいっぱい出してしまいます。逆に遠ざかっていくほうを押してみれば、力を出さずとも手が伸びてしまいます。この中の区別は円柱の回転に従うか否かにあります。 人の身体各部は繋がっているため、一つの全体として考えられます。従って人を円柱として抽象化することができます。体の局部がどの方向に向かっているかはともあれ、体は一つの全体としての運動方向があります。あの方向に従って押せば、人は簡単に崩れます。ここで、一般の押し方との区別を考えてみましょう。一般の押し方はまずは相手に減速させます。相手の速度がゼロになってから、反対方向に加速させます。つまり、自分に必要な力の分は、相手の慣性や推進力などを相殺した上で、相手の退けの動力までも自分が負担します。大変な力ですよね。逆に、回転方向に従った力を使用する場合は、相手を加速することになります。加速させて、相手自身がバランスを保てないほど加速させます。そうすれば、相手は崩れます。この場合は、加速の力のみが必要となります。相手がそもそも同じ方向に回っていますから、どんな小さな力を加えても、加速になります。この物理性質を活用すれば、小さな力に大きく働いてもらうことはできます。他の分野にもこれの類を見えます。例えば、共振です。小さい力を揺れの進行方向のみに作用させつづけることで、大きい揺れを作ってしまいます。物体が崩れるほどになります。共振は凄いです。1940年11月アメリカのタコマナローズ橋は共振で崩壊したことで世界中に有名になりました。太極拳推手の手法の一つは、相手にバランス維持のために守らなければならない身体振動の最大限度を一気に超過させることで相手を崩します。相手の回転方向に従って押すというやり方はまさにこの作用を発揮しています。この場合は、相手は力を出したくても出せない、どのくらい出しても自身の回転の勢いに負けます。丸で押すほうが大きい力を出したような錯覚を受けてしまいます。 話は速いですが、できるまでは頑張らなきゃ。 武術に興味をお持ちの方はぜひ無料体験の方を一度ご利用下さい。 では、一緒に頑張りましょう。よろしくお願いいたします。 1940年11月
9月 16th, 2011
太極拳修練の目的
2 Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:546時代の発展により、武術の役割は常に変化しつつあります。太極拳もそうです。太極拳の中身を修練するかどうかについても、多様な見方が出ています。以下の様に総括してみます。 健康:太極拳による健康効果は人々に認識されつつあります。太極拳を参考に作成された体操も世に出てあります。本格的な太極拳を体操と比較して、一体どこがいいでしょうか。考えてみれば、太極拳の本格的修練により、精神と肉体の統合、全身の協調、内蔵までの適宜な運動などは太極拳を本格的に修練しなければ、獲得しづらい効果でしょう。同時に、太極拳を正しく修練してこそ良い効果があるんでしょう。では、どうやって正しさが評価されますか。本に照らし合わせますか、それとも審判員に採点してもらいますか。どれも形が一定の基準に合うかどうかだけで、太極拳的意味上の正しさではありません。太極拳はまさにあの特有な内面で「太極」という名を冠されてあり、陰と陽の考え方に基づき、柔よく剛を制すことができるかどうかはまさに太極拳の正しさを量る尺であります。 趣味:太極拳の本格的な修練は一定のレベルに達すれば、すごく面白くなります。特に推手の中に陰と陽の変化を感じ、どうやって相手のバランスを軽く崩せるかは大変面白い議題となります。この中に融けているのは太極拳の陰と陽の哲理であり、自然協調な運動法則であります。日常に全くないやり方で相手に接し、自己を維持します。これらはまさに太極拳から伝わってくる文化の内面です。 護身:太極拳は武術ですから、武術の初心としての護身は常に欠かせません。これについても人によって見方が違ってきます。現代社会において、武術を本格的な戦闘に使用するのはあまり現実的ではありません、悪者退治に警察がいます。確かにそうですが、しかし、いざと言うときは頼りになるのは他人ではなく、自分です。警察官が駆けつけるまでどうやって自分や家族や友を保護するかは現実的です。一人一人は事件に逢う可能性が低いですが、何かに逢ってからは遅いです。今度の原発事故はまさに典型的な一例です。 日常に役立つ:太極拳を本格的に修練し始めてから、自身の姿勢の悪さに気づく方々は多々いらっしゃいます。これは健康面に響く以外にも、力の無駄使いにつながります。持っている力がうまく活用できなければ、必要以上に力を出してしまい、(腰や肩などに)運動損傷を起こすリスクが増します。例えば、重いものを運ぶときは腰がかなり怪我しやすいです。しかし、太極拳をうまく修練すれば、自身の各部を感じることができ、力を合理に分散して運べるようになり、体のどこでも無理しないようになります。他に、太極拳の本格的な推手練習は練習者の柔軟性やバランス能力や臨機応変などをかなり鍛えます。例えば、不注意に他人にぶつけられた時は、反射的に姿勢をうまく調整に、転倒し難いようになります。まだいろいろあります。 本格的とは 「本格的」と言いつづけてきましたが、二人が戦う姿を思わせてしまうも知れませんが、実際はそうではありません。太極拳の修練はかなり穏やかです。本格的とは太極拳的な感覚や運動法を本格的に考え習得するように努力することを指します。空手のような突き蹴りの対戦はありません。柔道のような基礎体力作りや投げもありません。しかし、本格的でありますから、正しい姿勢を求める穏やかな過程に流される汗も少なくありません。難易度を低下させ、もっと学びやすくするために、ゆっくり、気長に、ちょっとずつ習っていくことはキーポイントでしょう。
7月 1st, 2011
推手中の「強い」と「弱い」は相対的
No Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:481最近数週間の講習中に度々、「力を抜いたら、負けちゃう」と言う考えが出ています。 間違いだとは言えませんが、よい方向だとも言えません。要は程度です。不要な力が少しでも残っても運動の邪魔になります。兵法の言葉を引用すれば「己を知る、敵を知る」というのは先決です。戦いはこの後です。太極拳の経典を引用すれば「人が我を知らず、我のみが人を知る」と言います。つまり、「知る」は要点です。相手を知らずに動きますと、無駄な力を沢山出してしまいます。これと同時に自身の動向を相手に発信してしまいます。自身の同行は相手にうまく利用されれば、遣られます。自分が相手の動向をはっきりかつ素早く探知するためにも力を抜かなくてはなりません。喩えで考えてみれば、足音で他人の行動方向を判断したい時に、耳にイアフォンを入れたままに音楽を流しています。こんな風ですと、よほどの聴力と判断力が無いと、何も分からないでしょう。推手は同じです。無駄な力は雑音に等しいです。これ以外にも、力を抜く過程は時間がかかります。さらに、抜くことを忘れてしまえば、力をどんどん入れてしまって、固まってしまいます。自分が固まらないと思われるかも知れませんが、現実は普通に固まっている方は少なくありません。 推手は練習が必要です。教室以外にも練習仲間がいたほうがよいでしょう。フェースブックのグルーブを活用すれば練習仲間が見つかるかもしれませんよ。注意点は力を抜くことです。是非、教室で私に指導させてください。よろしくお願いいたします。 当会の太極拳にご経験をされていない方は是非「無料体験」をお試しください。
5月 29th, 2011
速めて遅れる
No Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:958太極拳の修練は常理と異なる所があります。一般の考え方では練習スピードをあげれば同じ時間で練習の回数が増し、上達もより早くなります。しかし、太極拳の観点から見れば、必ずしもそうではありません。特に太極拳の基礎をしっかり身につけていない方にとってゆっくりした練習はかなり大事な練習法です。太極拳の日常練習に一つの重要キーワードは「均等」です。均等というのはスピードが変化しません。これが簡単だと思われるかもしれませんが、実際に遣ってみますと難しい所があります。 太極拳の均等は全体的なもので局部の均等ではなく、その定義もし難いです。直接に定義することはできなくても、間接に説明してみます。均等であれば、スピードが変わらない、スピードが変わらなければ力が出ない。つまり、全身が空気のように漂いながら太極拳の動作を完成します。ゆっくりしている時はよく感じれば、ガチガチに動いているとの感覚がよく出てきます。これは運動の途中に止まってしまったということです。一般の練習過程はまずはこのガチガチさを感じ取ります。そして、感じながら止まる所を消して、滑らかな運動に繋げます。早く動けば止まらないのが普通ですが、すごくゆっくり動けば多くの方々がガチガチになります。このガチガチを消す過程は緩みと筋肉コントロールを習得の一歩でもあります。 話を変えて、ゆっくりも場所によります。教室に受講される時は特別な考慮がある場合を除き、あまり遅いですと時間が惜しいです。特に二人同時受講の場合、二人の練習時間を合わせるため、現時点での最適な練習を十分に行えない場合があります。ですから、教室で練習スピードを上げるよう指導するときがあります。逆に限界もあります。日常の運動スピードで見れば、教室での練習はやはり遅い方です。コースSの場合は時間合わせの心配はなく、ご要望に合わせて指導したいと思います。 因みに、ご要望と言えば、私が勘違いしてしまう時があります。指導法についても進化し続けさせたいと思います。何かお考えがある時はぜひ気軽にご相談下さい。 最後に、焦らずに、しっかりと練習しましょう。常にこちらの各点(初心者の太極拳難関)をチェックしながら練習して下さい。
2月 26th, 2011
練習中に落ち込む方へ
No Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:1062太極拳はそのゆっくりした練習ぶりで人々に簡単だという印象を与え安いですが、実際に遣ってみますと、全然そうでありません。太極拳自体はかなり高度の武術である故、武術の基準で練習はチェックされます。踊りと違って、踊りは元気が出て綺麗であればOKですが、武術は理に適わなければいけません。 一例とすれば、太極拳の最初の部分で、手が上がってから下がります。これはちゃんとした技ですから、この技の意味をきちんと理解して覚えなければうまく練習できません。受講の時にも注意点が沢山指摘されます。これで難しいと感じて身を引く方も居れば、内面の充実さを感じて逆に興味が湧く方も居ます。この点で考えれば、太極拳はチャレンジが好きな方により適合しているかもしれません。 太極拳はその特有な性質により、練習者が直面する問題がそれぞれとなっています。練習者の主観願望に合わせて、難しさもそれぞれです。もう一面でいえば、難しさがある故、面白さもあります。これはゲームと同じ原理です。全然難しくなく、一方的に勝ちつづけるゲームはすぐに飽きます。最初から難しすぎるゲームはプレーヤに落ち込ませます。太極拳はどっちかといえば難しいほうです。却って言えば太極拳に面白さが沢山秘められています。 人によって、練習しても練習しても上達しないと感じる場合があります。これは正常です。武術の修練に焦ってはいけません。毎日、練習すれば必ず会得があります。気付かれ難いかもしれません。道を見失いそうな時はぜひご相談下さい。一例とすれば、当会で必ず教える歩きの練習です。歩きを毎日練習しますが、いつも先生に同じポイントを指摘されます。それはそうですよ。長年の悪い癖は簡単に抜けませんから。まずは癖に気づくことは大事です。簡単な方法としては、練習の状態を変えてみることです。体力充実の時で練習するより、疲れた時で遣るほうを試してみます。疲れていますから、体力の消耗を抑えるために、どうすればいいかを探ってみます。この点では都合よく、太極拳は楽のほうが良いほうです。 指導中にも、私がどれくらいを指摘/解説すればいいかを考えます。現在の太極拳の学習過程は一つの喩えで説明できるかもしれません。「一人の先生について、小学校入学から大学卒業まで学びます」。まだ小学校の段階であれば、中学校の内容を理解するのは難しく、増して大学の内容を理解させるのは無理な話です。いろんな段階でもいろんな練習様子になります。推手を例とすれば、小学校段階は力に頼ります。中学校段階はとにかく流してみます。高校段階は素早く自己のバランスを調整しながら攻防できます。大学段階は陰と陽を指針にし、意識で攻防を導きます。この様な喩えは必ずしも正確ではありませんが、実際は似たようなものだと考えています。 可能であれば毎週受講して、チェックさせて下さい。進歩は少しずつ得られます。問題点を一つずつ狙い、気長に継続していけば、「あっ、できた」と気づく日は遣ってくるんでしょう。ともに頑張りましょう。
1月 8th, 2011
太極拳は陰と陽に求めます
No Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:1836インターネットの迅速の発展により、各地の太極拳事情を知ることが簡単にできました。2010年に「太極拳」と冠された運動は世界中に一層流行になってきたと思います。太極拳の「武」の性質を探る方々も段々に現れて着ました。嬉しく思いたいです。私が関心をより持っているのはやはり中国と日本の太極拳事情です。練習者の経歴などにより、色んな内容が混じる現象がよくあります。一例としては太極拳の形と空手の中身です。一つの特徴的現象としては相手が一発打ってきて二発目が来る前に、自分が数発打ち返します。あの様にやれば、実際に太極拳としての利点は全然ありません。ひたすらスピードを上げればいいでしょう。太極拳は武術の頂点に立っていた原因は絶対にその速さにありません。私は「立っている」でなく、「立っていた」を使った理由は、現代のほとんどの太極拳練習者は健康や社交目的なので、武のことを考えていません。 太極拳人口が膨大である故、太極拳の武の内面を真面目に求める、または興味津々の方々の総数は少なくないと考えられます。一部の方は太極拳試合の優勝を目指されます。試合に優勝やメダルを獲得することは確かに偉いですが、試合の内容を考えてみれば疑問が出てきます。形ばかりの試合で、中身はどうやって競いますか。現代競技太極拳に既に京劇などからの難易度の高い動作が組まれています。確かに難しくて、うまくできたら偉いですか、武の内面が体現されていますか、競技体操との区別がつくのでしょうか。難易度の高いものを求めれば、自由体操があります。難易度低いものを求めれば散歩があります。華麗さを求めればダンスがあります。競技太極拳では、民間の文化交流として作用がありますが、太極拳の真義として伝達されるものは皆無です。 武術は何時も「気」という言葉から離れません。多くの太極拳練習者は気を求めています。気というものは一体何でしょうか。実際に誰もはっきり言えません。「はっきり言うとは」他人が聞いたら成功に真似できるように言うことです。そんな例は聞いてません。「気」という概念は誰でも自分の練習で段々に形成します。「気」の字は太極拳の経典足る「十三勢行功心解」と「十三勢歌訳」に出ていますが、定義されたところはありません。動画サイトで出ている気を操る偉い先生たちはその技が一般挌闘家にも効く例はまだ見えません。逆にその反例は出ています。「気」といえば、古代の人たちがある種の物に対する総称だと考えられます。この種のものは見えないですが、感じるまたは利用することができます。例として、道教の世界観に世界を構成する基本物質は「気」と呼ばれます。中医に人体の代謝に参加するあるものを「気」と呼ばれます。中国では「怒りを生む」を「生気」と呼び、あの「気」は「怒り」という感情を指します。空っぽだが、何時も感じ取れるあの「気」は空気と呼ばれます。日本語に個人の感情が「気持ち」とよれば、グルーブの感情傾向が「雰囲気」と呼ばれます。太極拳の気は一体どれを指すんでしょうか。実際にどれも当たりません。武術の気は「内気」という汎称がありますが、その解釈が現代医学と融合できる日まで意味不明の状況が続くんでしょう。 しかし、なぜ太極拳の気に対する解釈は何時もそんなに曖昧でしょうか。あれは気を身体の運動から分離させ独立させるためだと考えられます。「十三勢行功心解」の文脈を見れば、著者はかなり高度な文学水準を有していました。中国古代の文化人たちは高度な表現法を使う傾向があります。「気」がどうなる、「気」でどうすると言っているところを逆の方向から見てみれば、筋肉や骨を使わないことになっています。気だけでの運動になります。しかし、あれは不可能である故に、「気」の表現は誇張の修辞法として認識されるべきです。簡単に言えば体を気のようにし、気のように滞らなく、気のような流れる運動をとります。これは太極拳の基本運動状態です。次の問題は太極拳の武の性質はどのように生まれますか。 太極拳はその名称どおりに太極の原理で運動します。太極は陰と陽で構成されます。自分と相手のすべての運動は陰の部分と陽の部分を含みます。常に自分の陽を相手の陰に送ります。常に自分の陰で相手の陽を受け流します。陰と陽のバランスが破壊される方が操られます。操られたら、打撃を受けたり、倒されたり、飛ばされたりします。太極拳の中の陰と陽を掴めるために、澄んだ精神と身体が必要です。精神面ではいわゆる「明鏡止水」にし、細微の運動まで感じ取ります。身体面は「無極」の状態に近づき、些細な変化でも反映させます。正しい運動環境を作って、正しい情報を収集して、正しい指令を脳から出して、正しい伝達をして、正しい効果を生じます。太極拳の精微さは殆どの武道と次元が違います。殆どの武道は手足のスピードや筋力を強調しますが、太極拳はこれらの面で負けを認めます、逆に他の武道の弱い面で勝負します。その故に、太極拳を理解することは大分難しくなっています。正しい思想に基づいた丁寧な指導を受けることは太極拳の習得にとってとても大事なことになります。従来、太極拳界に先代の真髄を受け継げた人は「代不数人」と言われます。つまり、一代の中に数人しか居ません。マンツーマンまたはこれに相当する指導法は望まれます。どこまで習得できるかは各自の努力次第となります。 従来の運動観念を完全に洗い流し、太極拳は生活に融けます。太極拳や中国武術の習得をお考えの方はぜひ当会へお越しください。極少人数で丁寧な指導を提供しております。よろしくお願い致します。
12月 26th, 2010
年を跨いで
2 Comments, その他, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:17372010年を送り、2011年を向かえ、新年の足音が聞こえてきます。お正月に出かける予定はありませんから、太極拳を体験してみたい方はお気軽に「無料体験」のほうをご利用下さい。 2010年4月に上京してから、多数の方々の支えをいただいてやってきました。感謝しております。福島県の皆さんを思い出します。当初は一ヶ月か2ヶ月に一回戻るつもりでしたが、うまくいけなく、今まで帰れませんでした。申し訳なく思います。郡山市で受講していた方々も私が身近に指導できなくても太極拳をやめないで欲しいです。 受講し始めた方が居れば、止めた方もいます。それぞれの望みは合うかどうかのことでしょうか。私はやはり太極拳特有の楽しさを皆様に体験していただきたいです。太極拳の修練にとって探求心は大変重要な調味料です。力んだら負ける。なぜなの……。これを試し,これを考え,これを練習中に検証します。勝つために譲る。負けてあげるから勝てる。あえて常識と逆のやり方を取り、不思議の感覚を楽しみます。 基礎は難しいです。人生数十年の間に積もってきた悪い習慣は簡単に直りません。しかし、苦労は頑張る人を裏切らない。腰の痛みが消える話は聞こえます。 太極拳は奥深いです。太極拳の中に探求することは楽しいです。時にすごく悩みます。でも、いつか晴れてしまいます。太極拳を迅速に習得したい方もいますが、天才であると可能でしょう。文化の差もあります。太極拳の裏側にある哲学を理解することは工夫を要します。いつか纏めてみたいですが、うまく言えなくて、見送るしかありませんでした。まだまだ頑張らなくてはいけませんなぁ〜 2011年も太極拳習得に向けてともに頑張りましょう。 よろしくお願いいたします。
12月 11th, 2010
陳家は太極拳を創始していなかった確証だそうです。
4 Comments, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:2777声明:本記事は世にこんな議論があると伝えるだけで、必ずしも、当会が所載の観点を支持していることではありません。 太極拳の発祥は長い間に議論を呼ぶ話題でした。これからも続くんじゃないかと思います。今日はネットで一通の文を読みました。その中に三通の拳譜を列挙されました。拳譜というのは拳法の流れを記録する一覧表のことです。陳家の初代が通っていた「千載寺」から伝わってきた拳譜を見てみますと、伝統楊式85式拳譜とすごく似ていますが、陳式の拳譜とすごく違います。 もし陳家が太極拳を創始したとすれば、千載寺拳譜と伝統楊式85式拳譜とはともに陳式の拳譜に似ているはずです、しかし、楊式と陳式はより似ていない上で、陳式より早い千載寺拳譜に似ています。例え楊家の先達たちが陳家から学んで太極拳を変えたとしても陳式より早期のものに似ていることは考えにくいです。この点を考察すれば楊家が陳家学んできた太極拳と現在の陳式太極拳はやはり別物です。 千載寺の太極拳はもともと「十三勢」と言われます。拳譜の記載に間違いがなければ、十三勢は陳家に伝承を途絶えたことになります。逆に楊家がこれを継承できたことになります。 下記の記事はご参考まで: 「太極拳」だっても違うよ 附: 千載寺拳譜 伝統楊式85式拳譜 陳式一路の拳譜 1.預備式 1預備式 起勢 2.起勢 2金剛搗碓 攬雀尾 3.攬雀尾 3懶扎衣 單鞭 4.單鞭…
11月 26th, 2010
推手を正しく遣りましょう。
1 Comment, 太極拳の話, by SifuMao.閲覧数:1592太極拳の練習は面白いです。その面白さは主に三つの面で反映されます。 一つは正しく型を練習することです。正確に型を練習することは一見簡単に見えますが、実際に遣ってみますと結構難しいです。普段に使わない筋肉も稼働させて、慣れてなくても効率高い運動法を学びます。ゆっくりした運動の中にバランスを維持するのもチャレンジです。 一つは技の使用法を練習する事です。見ただけで訳分からない動きでこんなに巧妙な使い方になっていると、これを楽しみます。実際に遣ってみて、これの巧妙さを楽しみます。 一つは推手を正しくすることです。推手の過程はバランスと聴勁(ちょうけい)と一般攻防法を練習する過程です。無限に変化する攻防状況、繊細な力の探知、太極拳の陰陽哲理の検証などは推手に大きな面白さを付与します。 しかし、推手を正しく練習することは簡単ではありません。運動の限界、姿勢の調整、相手の攻めの受け流し方、攻めの姿勢と運動方などの基本的な内容を正しく守ることは殆どの練習者の方にとって既に容易ではありません。それ以上にも、力の感知と合成、意識での身体誘導、「勢」の陰陽転換などより上級の内容があります。推手の太極拳修練に於ける重要性は緩き難いです。 推手の時は基本的に前進と後退の交替となりますが、運動は過ぎていますが、胴体は偏っていますか、腰は適切に回っていますか、腕の方向はずれていますか、余計な力は全部抜いてますか、相手とぶつかっていますか、「流し」は「逃げ」に遣っていますか、蛮力で攻めていますか、などなどの注意点があります。 一部の練習者の方々はこういう思い込みがあると聞きます、「太極拳の受け流しは20か30年の練習がなければ習得できない」。もし、週に一時間くらいでのペースで練習すれば確かに30年掛かっても習得できないかもしれません。簡単な算数をやってみましょう。週に一時間は30年である程度習得すると仮定しましょう。ならば、週に5時間であれば、6年で同程度に達するとなります。もちろん、現実は様々の要因が有ってこんな風な算数は効きません。でも、しっかり練習していけば20年は掛からないと思います。私もまだこの世に30年しか生きていません。可能であれば、定期的な指導は大事です。他に時間と場所が有れば練習するほうも大事です。普段に立っているとき、どこかに向かって歩いているとき、座っているとき、全部練習のチャンスです。できれば毎日一時間以上の専念の練習は望ましいです。 もう一つ、先生と直接に推手を練習することはとても大事です。殆どの練習者の方々は自分の運動が間違っている事を察知できません。なぜなら、普通に慣れきっている運動に不慣れを感じることはできませんから。先生のやり方を知るためにも先生と直接に推手をやってみるしか有りません。少人数指導は大人数指導よりこの面で大きな優位性を持ちます。一時間の受講時間に渡って、先生に何時も側で見てもらって、修正指摘してもらうことは少人数指導でしか得られないものです。先生を相手に推手と技の使用法を練習するチャンスも、少人数の場合のほうが断然高いです。 太極拳に興味をお持ち、又は習得されたい方はぜひ当会へお越しください。まずは無料体験から始めましょう。ちなみに、太極拳も中国武術の内なので、中国武術に興味をお持ちに方も当会へようこそ。
11月 20th, 2010
習得の要望と指導方法
No Comments, 太極拳の話, 教室情報, by SifuMao.閲覧数:1833受講者の皆さんは全員太極拳を習得したいという大前提を設定し、各自の要望と指導方法を考えてみます。天才という特殊ケースを除いて、太極拳に速成は無いと考えます。太極拳のすべての技に対し、一回の講習で習得できるというケースもほぼ考えられません。どのように指導と学習をするほうがいいかは確かな問題となります。 まずは当会の一般的な少人数指導方式を述べてみます。より多くの方々が無理なく段々に習得するようになるため、この一般的な教え方を設定しています。最初の30分間は基本練習です。次の30分間は型と推手を練習します。これで一時間の講習となります。 しかし、もっとしっかり練習したい方も居ますから、個別の相談も受けます。例えば、 太極拳を一部ずつしっかりゆっくり学んで行きたい方は一つの技をしっかり練習してから次の技に進むことができます。ただし、この場合は進捗が遅いと感じるようになります。 基本をまずしっかりしたい方に対して基本練習の時間を増やします。講習の全内容が基本練習になることもできます。 緩みを早めに習得したい方は基本と推手を沢山練習するようにします。 …… ただし、全套路を正確に練習できることも重要です。太極拳を習得するために基本的に四つのポイントが不可欠です。 套路を正しく練習することによって滑らかの運動方式を体得します。同時に様々な考えを独自に練習と検証をします。 推手です。自分の考えはあくまでも考えです。それが正しいかどうかは相手に試してみなければ分かりません。 太極拳理論について正しい理解を持ちます。いきなりただしい理解というのは不可能です。理解は段々に変わります。套路と推手の練習に検証しながら修正していきます。 きっかけによる悟りです。人々はいろんなことで太極拳に対する理解が変わります。ずっと理解できなかったものについて、何かのきっかけで突然分かるようになることがあります。運にも頼りますが、不可欠な要素でもあります。 太極拳を習得する道は人それぞれです。当会ではマンツーマン指導の時はできるだけ受講者の要望に応じます。しかし、二人同時受講の場合は個人要望に対応できない場合があります。これについてはご了承ください。詳細についてはご相談ください。 コースAで二名同時受講の場合は二人が同様な練習をしていただきます。お互いに照らし合わせながら、検証しながら練習します。二人だけなので二人の指導を同時に行うことに問題なく間に合います。 自己の習得コースを確保したい方は他人が入りにくい時間にコースAの予約を入れていただくか、コースSをご利用ください。 最後に、太極拳はその豊富且つ特有な中身で修練は焦ってもどうにもなりません。気長に太極拳を修練していきましょう。